天国の次男のこと

わたしどもの次男由堂(ゆうどう)は2008年10月29日、二歳の誕生日前日にこの世を去りました。



葬儀においてお世話になった方やお言葉を頂いた方やご心配おかけした全ての方に感謝いたします。
ありがとうございます。



その件についてなんとか伝えねばと思いながら何度も携帯を開いてBLOGを書きかけては閉じてしまいました。


あの日を境に非日常が日常になってしまったのが大きな理由です。


テディタクリービルの日常』という自分のBLOGは嘘になってしまったのですから。



しかし自分として愛する次男坊をいつまでもいつまでも存在させるためには自分の心にいる『彼』とそれを思う『自分』を世の中に出さなければいけないと思いました。



また同じ思いに苦しんでいるのに身内が故に容赦ない言葉で時に傷つけあってしまう妻や長男や義母への詫び状としても思いを書きたいと思いました。



そして子供を亡くされた他の親御さんにとっての悼みの言葉の代わりとして自分の次男坊に対しての思いを記していきたいです。



BLOGに書くときはサブジェクトには『次男』や『由堂』という文字を入れていきます。
だから気分悪い場合は読まなくても大丈夫です。




自分を構成する要素に由堂がいる以上BLOGに日記を書く習慣がある自分にとって避けて通れない話題なのです。

では書きます。


愛する由堂と家族、仲間へ。



家族にとって
ある日ぷっつりと日常がなくなってしまうことは想像もできない辛さ。



世界に膜がかかったようになってリアルなのにリアルに思えない世の中



時間が経つ程に思いは募ります。



そのたびに二度と戻らない時間をうらめしく思います


いろいろ頑張るより前にあきらめてしまいます



二歳を前になぜ彼は旅だっていった?



我が家の仏壇。
真新しい洋風のそれにおがみます
でもときにおがみません。

毎日の日課にしなきゃいけないのにすることをなぜかためらいます。



胸がつまり
何度もなぜなぜと思い

やがて煮詰まり

考えることを放棄するようになります



でも
許されず今日も重い一歩を踏み出すのです



愛するものを亡くすとはかも辛いことなのかと思います



父親としてあまりに足りなかった彼との時間を悔やむばかりです



いがみあうことなくいたわりあえるようになりたいと思いました。



そしてぼくは自分を笑わしたくてしょうがないです。

心の底から腹がよじれるような。


それはずいぶん先な気もします



彼を通じて日々いろいろなことを考えます


彼を思い出すときに微笑む顔が浮かんできます


それは春の太陽のようです




自分は昔生きていることが辛くて逃げだそうと決めたことがありました。


あの時にそれをしなくて良かったです。
遺されたものにかぶさる時間の長さを考えたら恐ろしいことでした。




なのにこんなぼくでも生きてるだけに飽き足らずときに贅沢にときにわがままになってしまいます。



次男の母親でありぼくの妻の思い。
次男の兄でありぼくの長男の思い。
次男の祖母でありぼくの義母の思い。


家族に笑顔が生まれ平穏が訪れるように皆が努力してはいるけれど


ずいぶんずいぶんゆっくりした足取りになってしまいます。


ときに立ち止まったりしゃがんだりもしてしまいます

日常とは非日常の連続であることを思い知ります



いまはただ風や雨に耐えいつ晴れるかわからない空を見上げているのです


太陽が出てくることを待っているのです

◆TeddyTaclyBill'S HP
http://www.takuto.net/

◆YOU DO!(由堂)の写真日記
http://yaplog.jp/youdo/