手袋と鼻水と

鷺沢めぐむの死因は心不全ではなく自殺だった。
彼女のホームページを読んでみた。死の二日前に彼女は風邪薬ルルを飲みきってしまった。そしてそれでも長らく止まらない鼻水に嘆いている。
鷺沢、生きようとしているじゃないか!
なのに死を選ぶこと。悲しい孤独。

昨日、会社の若い奴がホームページを開いていた。何それと聞くと、会社のSが作ったページであった。
日々目にするものを写真でとらえている。
VOW的というか、なかなかに感性の優れたページであった。
なぁ俺もページを作ってるんだとそいつらには言えなかった。

鷺沢の鼻水。
結局、よわよわな俺は誰かにわかってほしい記号としての鼻水をこのページで垂らしているのか?

いや誰が作ったページでも結局鼻水垂れてる気がする。

鼻水を自分でふくか、人がふいてくれるか、はたまた垂れっぱなしにしておくか。
そのあたりの違いなだけで基本は垂れてる。
そんな中で俺は垂れっぱなしな気がするが。
天才エッセイスト向田邦子の一編「手袋をさがす」。
気に入りの手袋が見つからず、ひと冬を手袋なしで過ごしてしまう話。
手袋は自分を示す比喩。
理想像はあってもなかなかぴったりそれに当てはまらない自分。だから似ていたり、近い方向に身を進めるが気に入らず。結局いつも模索している。

おれたちは手袋を探し、今日も鼻水を垂らして生きている。

俺の親父が言ってた。人生は七転び八起きじゃあないぞ。
七転八倒だ。
そうさライクアローリングストーン
転がり続ける。
TedTak.au