死ぬこと
今年のフジロックは自分にとって生と死がみちあふれていたイベントだった。
祭りというハレの舞台で死を感じることは極めて日本人ぽい気もするが明らかに去年までいて今年いない人たちがいたことが原因である。
thebirthdayのチバユウスケは盟友アベフトシの死を悼み、フジロック全体でも忌野清志郎の追悼イベントを行ったりした。
そして我が次男の存在もしかりだ。
祭りとは豊穣や治安など大きな願いをするのがメインなものと思っていたが生の喜びとともに故人を悼むこともその要素になりうるのだなと認識した。
変な言い方をするようだが私は人生最後の日を理解して生きるようになってきた。
それは生きる意味を教えてもらったから。
いがみあったりしてはもったいない。
人生とは自分のできることを一生懸命にやるだけである。
やらなければいけないことがある。
昨日ネットでちらほら散歩していて見つけた黒澤明の『生きる』の一節。
無気力で生きてきた役人が胃癌にかかり余命半年になり市民からの陳情である公園作りに余命奔走する物語。
そこでの一言。
『わしは、ひとを憎んでなどいられない。わしには、暇がない。』
響く言葉だ。
(写真は押上の居酒屋松竹から路上を望む焼酎の図。自分の原点は地ベタだな。)
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