評論:劇団ゴキブリコンビナート略してゴキコンについて

演劇オーソリティのアンミツさんに招待券を頂き劇団ゴキブリコンビナートを見にいった。

アンミツさんからチケットを仲介してくれたのは我々の劇団KMFのよこやんふぃふぃ。

アンミツさんは俺に演劇をもっともっと色々勉強せいよ!
という意味でよこやん通じチケットをくださったと思う。
ありがとうございますアンミツさん!

さて会場が中野光座だった。

中野光座と言えば元ポルノ映画館だ。

暴露すれば私の青春エロ道場『中野ひかり座』ですわ。

雑誌びあを持っていくとポルノ映画三本立て900円が700円にディスカウント!

ぴあは当時200円くらいでひかり座に2回行けば楽勝で元をとれる計算。2回行かなくても1回でもぴあをタダで買ったことになるし読めばカルチャーに詳しくなる!という特典がついた。
当時はシティロードという雑誌もあり、同様の特典を得られたのであるがシティロードはどうもアバンギャルドかつソフィスティケイトされた感じがした。
並びたてるなぁ横文字。意味ようわからん(笑)
要はシティロードは上品でぴあの方がやんちゃな気が中学生の俺にはしていた。

ここまでのまとめ・・・
中野ひかり座が無ければぴあも読まなかったし、ぴあから得たサブカル情報にも興味なかったろう。つまり今の仕事はしてないな。
おっと脱線した。

俺の原点。
サングラスかけてぴあを握りしめて光座に通う中学生の俺の土曜日午後。

その様子を詩にするとどうにも『レイジーレイジーレイジーアフタヌーン』だ。
そしてラビアンローズからはほど遠い。

皆さんはご存知か知らないが当時のエロ映画館はモーホーさんが多くいて僕みたいな若造なんかがふらりいくと即座にすりよられ、トイレには追いかけられ等相当なチェックがついて回った。
しかしミラクルな世界がみたくて僕はそのようなオヤジさんらのチャージを押し切り足を運んでいた。そんな萌えた男たちを押し切った意味では僕の行動は元祖『押切もえ』と言っても過言ではない。

前置きがまったく長いがそんな光座だ。
郷愁誘われる。

アンジェラ・アキのHOMEばりに郷愁に誘われてしまう。

中学生以来、久々に来た光座。
映画濱マイク横浜日劇に似たエントランス風情。

そうか横浜日劇に行った時の懐かしさは光座の原体験から来るのか?
そしてそうかぁあの時のサングラスの若かりし頃の俺!あれは永瀬正敏の原型だったのではないのか?(え〜なんで)
名作濱マイクシリーズの原作は俺自身があの時に生み出していたんだ!(え〜だからなんでまた)

そういえば濱マイクへ繋がるベースストーリーのアジアンビートには俺の名前がクレジットされているしなぁ(これは実話だけど〜なんで〜)。

あぁまったく

とてつもない妄想に襲われて一向にゴキブリコンビナートについて書けない。


つづく


よう頑張ります

あぁ演劇人への道は遠い

◆TeddyTaclyBill'S HP
http://www.takuto.net/
◆劇団KMF11月19日下北沢『ドン・ぺぺ・ザ・トッティ
http://kmf-entame.com/
↑チケットここ
http://d.hatena.ne.jp/KMF/
ブログOPEN!

◆生まれて一万日推進委員会

今日が生誕1万日記念は1979年5月4日生まれ!